minamoToのブログ

旅行と音楽が好きです

2015アメリカ〜ワシントン編

※ここから適当クソチャラ写真*1とともにお送りします。

ANA機内食はおいしい

おいしいです。アルコールも頼めるし。母親は「ずっと座ってるだけやのにこんな食べられへん」と言っていましたがわたくしは全部食べます。
11時ごろ離陸するとまもなく昼飯が出てきて、ビールを飲んですぐ寝、6〜7時間後に晩飯、ワインを飲んですぐ寝、到着前(現地時間7時頃?)に朝飯が出てきます。ちょいちょい映画を見ていた気がしますが忘れました。思い出しました、イコライザーを見ました。
昔に比べてエコノミーは広くなったと言われますが、この上なく寝にくいことは変わらず、だからといって倍以上払って高々10時間程度快適に過ごすというのもな〜というアレ。

入国

断続的な海外旅行程度では英語がさほど上達するわけもなく、簡単な会話はさておき、ごちゃごちゃとしたことをフルスピードで喋られると5割理解できればいいほうで、OK!と言ったもののあとで大変不安になるという局面は幾度となくありました。
入国時も例外ではなく、「ESTAを使って二回目以降の入国はこっち〜」とは後から理解したことであり、結果論ですが機械で入国が許されました。機械といっても最後は人がチェックするようで、ほぼあらゆるものが日本より2回り以上大きいアメリカでは人体もご多分に漏れずデカい黒人に愛想なく「どっから来たんや?どこいくんや?」と聞かれ恐怖のあまり膝の関節が外れました。*2
ここから隣接するウドヴァーヘイジー・センター(国立航空宇宙博物館の別館)に向かいます。隣接といっても単に位置関係として隣にあるだけで歩いて行くことは無理ではないですが無理です。最新の地球の歩き方にはシャトルバスが運行されているとのことでバス停を探します。

ミニトラブル〜バス停がわからない

大体のことは聞けば済むんですが、自力で行けるに越したことはないので、ウロウロしていると目的のバス停はバゲージクレームの高度的に下側ではなく上側にありました。

ミニトラブル〜シャトルバスは廃止されている

バス停自体に変更は無かったものの、市バスのようなものに取って代わられており、運賃も違いました。それっぽいバスが来たので博物館に行くのか聞いたら「このバスは博物館から来たから、3分後に来る次のに乗ったらいい」と言われちゃんと3分後に来たバスに乗れば着きました。*3例によってお釣りは出ませんでした。

ウドヴァーヘイジー・センター

ウドヴァーヘイジー・センターはスミソニアン博物館群の一つで、基本的に入場料はかかりません。
入ると荷物を警棒みたいなのでかき回されながらチェックされます。当然ホテルに寄ってないのでフル荷物です、事前にコインロッカー*4があることは確認していましたが、預けようにも

ミニトラブル〜硬貨がない

機械(ロッカーやコインランドリーなど)は大体クオーター(25セント)しか相手にしてくれず、硬貨がなければ両替機もないので仕方なくインフォメーションに今後のためにも両替してくれるか聞くと、貸してくれました。*5

続き

さて、無事コインをゲットして預けようにも

ミニトラブル〜扉が閉まらない

スーツケースがでかすぎて閉まりません、10分ぐらい悪戦苦闘した挙句、スーツケースが柔らかい材質であったことが幸いして無理やり力ずくで閉めました。

続き

ものすごく飛行機が好きというわけではないのでどれもこれも目が輝くという具合にはいきませんが、個人的には
星型エンジン
https://farm9.staticflickr.com/8705/16757612229_16cf5b951b.jpg
スペースシャトルディスカバリー
https://farm9.staticflickr.com/8698/16334405473_f88888250f.jpg
コンコルド
https://farm9.staticflickr.com/8715/16739624547_784a1b8be4.jpg
B29、エノラ・ゲイ
https://farm9.staticflickr.com/8720/16955382471_d5a4851b78.jpg
が良かったです。というかB29を見に来たといっても過言ではない。

昼は博物館内のマクドで済ませました。*6

ホテルへ

再び空港に戻り今度は5Aというバスに乗りロスリン駅へ。博物館で歩き疲れたのと、そもそも時差ボケでしんどいのでホテルでちょっと寝ることにしました。
ワシントンDCは税金やらなんやらが高いので隣のバージニア州でホテルを探すのもアリということでバージニア州はアーリントン周辺のホテルです。DCへは地下鉄で15分程度でつくので不便ではないです。
22時頃になにか晩御飯はとGoogleマップで近くにピザハットを見つけたが入ると「デリバリーはできるけど持ち帰りは21時までなので無理」というよくわからん理由で追い出され、近くのセブンイレブンでピザを買って食いました。

食費

これは以前から思っていましたがアメリカは食費が高い。メジャーな観光地しか行っていないので高いということもありましょうが、円安ということを考えてもファーストフードですら日本より高い。これはなんでかなと考えるとやはり人件費を日本は削ってるんじゃないかなということに至りました。そうなるとアメリカが高いのではなくて日本が安すぎるということでしょうか。和民があのような感じで、最近ではすき家がワンオペやめたら赤字になったとかいう話を思い出すと概ね納得できます。
さらに材料費も安くない。以前ニューヨークに住んでる人は値段のためにわざわざブルックリンまで食材を買いに行く、というのをテレビでやっていました。日本だと安いものはたいてい中国産ですが、アメリカはどうなんでしょうか、自前で量は自給できるでしょうが生活水準的にどれだけ原価に農家的人件費が含まれているのかも調べてみても面白いかなと思いました。思っただけです。

WWII記念碑

翌日は27日、いい忘れていましたが寒さは寒いです。ただ思ったより寒くはない感じ。防寒をしっかりしていれば布がある部分は寒くない。つまり顔が寒い。手袋も外すと秒速で凍傷になる(なったことないけど)勢いで冷えるのです。
カッコいい地下鉄にのってDCへ。運賃はICカードで。
https://farm8.staticflickr.com/7633/16736475047_bab14e2c90.jpg
第二次世界大戦記念碑です。
https://farm8.staticflickr.com/7621/16766774928_51eb099dab.jpg
「記念」というとなにかおめでたいイメージがあるのですが英語ではメモリアルなのでそんなことはなく、もっと他にいい訳はないのか。
リスです。
https://farm9.staticflickr.com/8729/16334368813_d3c1379067.jpg

ワシントン記念塔

整理券を貰えばこれまたタダで登れます。ほんまに全部石でめちゃくちゃ重い(8万トン)らしい。沈まんのかな。
https://farm8.staticflickr.com/7594/16766987770_80b56e5749.jpg
法でこれより高い建築物が存在しないとのことですが、周りは同じ高さでせめぎ合ってるというわけでもなく低めのビルばっかり。
ホワイトハウスも見えます。
https://farm8.staticflickr.com/7595/16768269679_0c38eb053b.jpg

ホロコースト記念館

ようこんなこと平然とできてたよな〜、という普通の感想。
荷物は重いし、眠いし、当然展示の解説は全部英語で読みにくいし、途中で展示を真面目に見る気のない大量の中学生が参加してしゃべってうるさいのとでイライラしていました。

ホワイトハウス

見ることしか出来ない。大統領になる等の手続きを頑張れば入れるかもしれない。
https://farm9.staticflickr.com/8750/16332089764_e3be3cc1b6.jpg

国立アメリカ歴史博物館

汽車ができーの、モータリゼーション進み―の、キッチンの変容、電化進み―の的な展示。電力屋さんはみんな知ってるフェランチの発電機がありました。
電車の脇に佇む老け顔の子供。
https://farm8.staticflickr.com/7608/16954496575_c1e25793fc.jpg

ミニトラブル〜晩飯で食ったピザが辛すぎる

関西では「塩辛い」ことも「辛い」と表現しますので「辛い」だけでは文脈判断が必要ですが、このピザ、唐辛子的にも辛いし、塩分的にも辛い。しかもホール。辛(つら)かった。まずいわけではないんですが。

ミニトラブル〜腹壊す

さて翌日28日、10時頃ホテルを出ましたが、「辛いもの食べたら翌日大変なことになる」を身をもってはじめて思い知り、出る直前もお腹の調子が良くない。
なんとか駅まで着くも、やっぱりおかしい。取敢えず駅で気休めにでも噛み砕くタイプのピンク色の怪しげな腹痛止薬を買い、飲みます。

航空博物館本館

先述のウドヴァーヘイジー・センターの本館。触れる月の石や、B747のコックピットなど。
https://farm8.staticflickr.com/7630/16747096427_9bb2eb5ddf.jpg
あとフライトシミュレーターで戦闘機型の360度回転するやつに乗りました。本来は2人で操縦と攻撃を分担するらしいのですが1人でもちゃんと遊べました。360度回るのはおもろい。

またまた昼は隣接するマクドで。

自然史博物館

まあ自然です。自然に関する展示。そんなこと*7よりも記憶には腹痛が解決したことのほうが鮮明でした。

FBIビル

ビルだけです。ツアーもあるらしいのですが地球の歩き方には「つまらないのに人気がある」と酷い書かれ様。
https://farm9.staticflickr.com/8685/16954478835_a624447911.jpg

スパイ博物館

博物館規模的にあまり期待はしていませんでしたが7割ぐらい007の展示で十二分に楽しめました。
ファベルジェの卵、グスタフが無理やり寝るパネル、ミスタービッグが膨らむ銃弾、焼け落ちたゴールデンアイ、半分盗まれたプルトニウムジャガーXKR、アストンマーチン、Z8を分裂させるカッター、ゾリンの箱、シードリル、心臓、側壁に触れたら爆発するやつなどなど。
シルヴァにまんまと嵌められるシーンのやつ!!
https://farm9.staticflickr.com/8754/16766777358_c6e3711d7d.jpg
この後ベライゾン・センターを下見し、アーリントン側に行き似非日本食を食い、21時頃ワシントンユニオン駅へ。
https://farm9.staticflickr.com/8706/16955993842_cce8ac78cb.jpg
発車数分前に改札が開き、ホームに降りてボストンを目指します。(ナレーション:石丸 謙二郎)

ボストン編その1
に続きます。

*1:©irarumuko

*2:YS班は何も聞かれなかったらしい、悔しい

*3:地球の歩き方に投書をしましょう

*4:アメリカでは9.11以降コインロッカーはほぼ絶滅なのに意外

*5:両替してくれたほうがありがたかったんやけども…

*6:基本的にアメリカのファーストフードはソフトドリンクおかわり自由

*7:失礼しました。

2015アメリカ序章

2015/2/26から3/13まで2週間あまり渡米しておりました。

http://pbs.twimg.com/media/B_8jYVAVIAAMs3z.png
でありますように、毎日大なり小なりトラブル続きの渡米でありました。

事の始まり

前々から後輩Y氏が渡米を希望しており、話半分で聞いておりましたが年末より愈々現実味を帯び始め、年明け頃から具体的に行程を練り始めました。もう一人の後輩S氏はY氏と行く予定だった卒業旅行台湾行をアップグレードする形で参加が表明されました。
2/11から6/17まで全米各地で"ONE LAST TIME TOUR"を開催予定であるバリー・マニロウのフリークであるところの母親がそれを聞きつけ、同行できないかと打診があり、皆の承諾を得て同行することになりました。奇妙。

行程

Y氏はニューヨークの夜景を希望、S氏はセントラルパーク、自由の女神(女王の女神)に加え、ベニスビーチと口走ったことからサンフランシスコ行きが決まり、アップル製品を所有していることからヨセミテ行きが決まり、そこまで行くならロサンゼルスまで、と云った塩梅です。
しかしながら、先述の"ONE LAST TIME TOUR"の開催地が曲者で、多くが「どこやねん!!」というところで行われ、辺鄙なところに飛行機を立ち寄らせると(どういうわけか)値段が倍ぐらいに変化するのでなるべくメジャーなところで、上記の行程にうまく練り込めないか熟考した結果、2/27のワシントンDCはベライゾン・センターのチケットを取ったのでした。
Y氏は3/2まで内定先の研修等があり、S氏と共に3/4に現地で合流する算段となりました。となると2/26〜3/3の間ワシントンDCにいることになり、されど首都たかが首都、人が多いから首都になった東京とは違い(適当)、首都となるために作られた都市にそこまで居る理由があるかないか考えたところ、アメリカにはアムトラックがあることを思い出し、じゃあボストンまで行ってみるか、ということになりました。
その後はニューヨークで合流し、飛行機でサンフランシスコ、車でヨセミテ〜ロサンゼルス、深夜便で帰国、という行程です。
パスポートは出揃い、ESTAも申請し、航空券は購入、ホテルも予約を済ませ、レンタカーも予約をして後は出国を待つのみです。

トラブルその1〜寒波が寒い

皆様もご存知でありましたでしょうか、北米には寒波が押し寄せており大変心配しておりました。
参考記事をご覧ください。ナイアガラの滝が凍っています。
中でも、「ペンシルベニア州(どこやねん!!)でビルが燃える→放水する→凍る→重さで崩れそう」なるニュースを聞いたときは虚構新聞を疑いました。
天気予報を見るとボストンは最低気温がマイナス二桁という、どこぞのアミューズメントパークの片隅にある極低温体験施設のような気温に戦々恐々としていました。

トラブルその2〜コンサートが延期

出発2日前のことです、**IMPORTANT UPDATE**というタイトルでメールが来たかと思うと「ベライゾン・センターを始め以下3つの公演は1週間延期することにしました〜」と精神が錯乱しました。2/27の公演は3/4になり、絶賛ニューヨークでYS班と合流中ということです。
熟考の末、その日はニューヨークから日帰りで一週間前にいたワシントンDCに日帰りでコンサートに参加するという馬鹿げたスケジュールに変更しました。

ミニトラブル〜伊丹空港にちょっと遅く着く

NH2176 (ITM-NRT)は伊丹を午前7時50分発でなんとなく「7時前に着いてればいいかな〜」と思い、結局6時40分に家を出る直前に(これはひょっとして遅すぎるんとちゃうか…)と思い始め、恐る恐る到着するもまだ同じ便に乗る人達が国際線乗り継ぎカウンターで列をなしていましたのでそっと筆を撫で下ろしました。
預け入れ荷物にリチウムイオン電池が入っていることを指摘され、MBPは出したもののカメラとiPad二枚を出し忘れてクソ混んでいる保安検査に3回も通す羽目になってしまいました。その他のお客様、申し訳ありませんでした。
結局ギリギリの7時35分ぐらいに搭乗口に参ることが出来、座って待つ暇もなく搭乗。

ミニトラブル〜荷物が重い

MBPはいろいろと役に立つからいいとしても、この旅に向けて買ったUP-Rise II 38は良い感じではあるが1.6kgもあるし、D600と24-105mm、16-35mm、50mmで「え?」っていう重さで、スーツケースには何を思ったかセーターを3枚も入れてしまい出国段階で7割占有。現地で洗濯する予定だとしてもこれは良くなかった。

出国

例の如く成田で出国審査、どこの国にも属さないエリアでニベアと携帯ウォシュレットを買いました。足の汚い人を見ていたら搭乗。
ワシントン編に続きます。

さようなら318ti

思えば、いや、思わなくても色んな所へ行きました。
マフラーを交換するしか方法がなく、手放すことにしました。
遠出の記録を思い出せる限り書きます。

2009年7月 免許ゲット。tiに出会う。
2009年8月中旬 いきなり九州に行く。ウィンカーカバーが高速走行中吹っ飛ぶ。
2010年3月中旬 伊勢参りに行く。ETCレーン通れない。
2010年8月中旬 徳島に行く。阿波おどり怖い。
2010年8月下旬 堺に行く。ライダークランクアップ。18人前の寿司を5人で食う。
2010年9月上旬 金沢からの新潟からの長野からの山梨からの静岡からの名古屋に行く。
2010年9月 犯人の車役に抜擢される。
2011年4月下旬 大きな鏡を持って琵琶湖に行く。
2011年5月下旬 鳥取からの広島に行く。
2011年6月上旬 琵琶湖で銃殺される。
2011年8月上旬 親戚乗せて堺を行ったり来たり。
2011年8月中旬 中之島に行く。
2012年2月上旬 琵琶湖に行く。
2012年5月下旬 彦根城に行く。
2012年8月中旬 愛媛、岐阜に行く。
2012年9月中旬 尼崎からの和歌山に行く。
2012年10月下旬 名古屋に行く。
2013年3月上旬 四国一周に行く。
2013年4月中旬 百済寺に行く。
2013年5月GW 天橋立に行く。
2013年6月下旬 尼崎にキズキノチPVを手伝いに行く。
2013年9月 琵琶湖に2回行く。
2013年11月中旬 広島に行く。琵琶湖にも行く。
2013年11月下旬 京都は高雄神護寺に行く。
2014年1月上旬 伏見稲荷に初詣。
2014年2月上旬 納得行く映像が撮れるまで阪神高速環状線を何周も回る。
2014年6月下旬 姫路の太陽公園に行く。数日後、次回のゴールド免許失う。
2014年7月下旬 中国道西宮名塩付近でマフラーが詰まる。
2014年8月中旬 応急処置するも詰まり再発、時速20キロしか出ず。(その後一時的に復活)

明日、引き取られていきます。ちょうど5年、ありがとう。


暇じゃない、でも暇

なにをするにも時間は確実にあるが、どうしても無の時間が多くなってしまう。
今はVisualStudioをインストール中なので暇なのです。

予定があったらあったで忙しいなぁ、と思うこともありますが、とある友人の「引き受けた仕事を、忙しいという理由でサボってはいけない」という非の打ちどころがない言葉を思い起こすのです。

概況

無事に卒業し、大学院に入院。
研究室に配属されるも、研究テーマは不透明。大丈夫かな。
いや、自分でなにもかもやらなあかんねんけど。

車のマフラーがうるさいので修理に出しています。

バイト

週2でそれぞれ4時間ずつ高校生に数学を教えている。
キャリアこそ長けれど、さして数学センスが向上しているわけでもなくいまだに解法浮かばず脂汗でることがよくあります。予習すればいいのだけれども、持込み教材で質問されると焦る。

個人経営のバーでバイトしようと1日体験入店してみたが、立ちっぱなしが先ず辛いのと、食器の洗物で手が破たんしていくのがストレスになるし、店閉めてからの掃除が(掃除自体は好きだが)体力のなさを痛感させたのでやめた。
おとなしく座って勉強教えてるほうが何倍も楽でした。

稽古ごと

稽古の必要なことをいくつかやっているが、思い出すごとに(まず思い出す、ということ自体が矛盾している)全然稽古をしていないこの驕り。
思い入れがないとしか考えられない。
結局自分はなにを本当にしたいのかということですね。

意識

たいへんに低いままである、大変危険な状態。

2013紅葉

2013春には研究室配属になり、夏には院試があり、落ち、ライブを演り、院試は繰り上がった。
そうして11月には宮城岩手、広島へ行き、秋が終わるなあというタイミングで紅葉を見てきました。

まずは神護寺へ。

友人が14時頃来るというので、13時半に起きて飯を食っているときに来た。なんやかんやと家を出て高雄へ。
高雄というと、暫く前に台湾に行ったときに高雄(カオシュン・ガオション)という地名(発音)が印象的だったので高雄という字を見る度「がおしゅんがおしゅん」と脳内を流れる。

観光地価格の駐車場に車をおいたものの、もう夕方やしほとんど人来えへんから負けてくれへんかな、というのが本音ではあるがまあそういうシーズンしか稼ぎ時ないんでしょうとお互い様ということで。

地図で見るとすぐ着くような感じを裏切るように階段が続き、カメラ一式を持ってくるわ、いろいろおもしろいものを見つけてはしゃべり続けるので汗ばむほどに。

ああここの見頃は過ぎたんやな、と思いながら門をくぐり本堂へいくとおそらく誰しもが一度は見たことのある源頼朝の絵(模写)やなんとか曼荼羅(模写)がありました。

「かわらけ投げ」と気になる看板があり、進んでいくとこのような景色が。


せっかく20mmがあったのになぜか全景がなかった。

かわらけとはこういう小さな焼き物で、真ん中に「厄除」と書いてあり、投げると厄除けになるそうです。

このようなものは気持ちの問題で投げたからといって別に直接何かがどうなるというわけではない(ひねくれ者)けども、おもろかったらそれでいいのです。

形が皿ですから、適当に投げても滑空しながら真っ直ぐには飛ばず、最終的には手前に落ちていきます。それでも思いの外飛んで行くけど。

意外とおもろいのでもう一つ買おうとすると、さっきまで全面に店を出していたのに完全にシャッターが閉まっていた。えぇ〜!と大きい声でツッコまずにはいられない。「こんなん投げて下の人に当たりませんか」「人が歩いてるとこまで飛ばすのは無理です」というやりとりをした店の人は外にいた。

最近

ババアという言葉をよく使う(面と向かって言うのではないです)のですが、べつに罵るつもりはなくて、まず音とBBAという字が面白いのと、話す相手に対して言って良いギリギリのラインを越えるか越えないか(人によっては完全に越える場合もあるが)が面白い、というのがあります。

いわゆる「大阪のおばちゃん」はアレはもう「大阪のババア」であって、「○○商店の看板娘!」言われて出てくるものなら「なんやババアやないか!」いうて「何言うてんの!」と笑いながら強めにシバカれるぐらいがおもろいのではないかな、どうかな。

その後

「鳥獣人物戯画」(レプリカ?)のある高山寺に行こうと思えば入り口はすでに閉まっており、また次回ということになりました。

嵐山

その足で嵐山へ行くと、週末だけに人だらけ。天龍寺内部の宝厳院のライトアップがあるというので行ってみるとこれまた週末だけに人が長蛇の列をなしております。

嵐山といいますと、今年9月の恐ろしい台風が思い出されます。当時は北海道にいたので惨状を詳しく知ることがなかったのですが、そこら一体が泥まみれやったんやろなと思うとその後の努力が自ずと見えてくるというものです。



べつに何を買って何を食うわけでもなくても夜でも煌々と照って活気があるというのは、みんな楽しそうでええなあ、と思うのかどうなんだか。元気なときにはそう思うのでしょう。いまはそんな余裕はないですけど。

後日宝厳院と清水寺にも行ってきたので改めてpostします。では。

ファンヒーター故障

下宿が寒いので壊れた石油ファンヒーターを実家から持ってきた.
壊れてるので直すのですが,これがまた厄介.
昨日からずっといろいろやってみて,今は機嫌よく燃えてるけど次止まったらもう直さない.諦めた.

ダイニチのファンヒーター(00年製)で,エラーコードE02あるはE03で停止する.
E02は点火ミスで,点火すると火はつくが大変不安定で揺らいで「カン!」(ソレノイドの音?)と止まる.
E03は燃焼中止で点火はうまくいくもの,数十秒で「ファ〜」と不穏な音を立てつ
「カン!」と止まる.あるいは数十分機嫌よく燃えてるとおもいきや噴射の音がす〜っと消えたあとに「カン!」と止まる.

ダイニチのホームページを見ても素人が手を出せるのはフィルターの掃除まで,というアレで解決にはならず.
http://www.dainichi-net.co.jp/support/repair/fh/error/e02.htm
http://www.dainichi-net.co.jp/support/repair/fh/error/e03.htm
しかし,

着火検出装置(フレームロッド)の故障か、シリコーンが原因でフレームロッドに絶縁被膜ができています。

という記述があります.これはフレームロッドの研磨.ググった8割の原因と解決策がこれ.
理屈は,炎電流を検出しているというフレームロッドに空気中のシリコンがこびりついて絶縁状態になる→「燃えてない」と判断しE03エラー.
サンドペーパーで磨きまくる.金属光沢が出始めた所で疲れたので再度取り付けると治った,ような顔をしただけでした.
これを実家でやって治った!と思ったので持ち帰るとやはり途中でエラー出る.
磨くのを3回ぐらいやった.

ましにはなったような気がするけど,でも根本的に治らないので原因は別にあるのではとひたすらググる.と,気化器っぽい.

http://acs.hp2.jp/342-fw-5590l.html
を見ると,気化器はお手上げやで〜と思っていたが意外とバラせたのでタールとらやを掃除.皆さん分解修理がお好きなようで.
ニードルを抜こうとしてもなかなか抜けない.ペンチで無理やり引きずると黒いカーボンがびっしり着いてた.
これは硬くてフレームロッドのようにヤスリで削るのも良くないらしいので(送油経路なので?)バーナーで炙るらしい.バーナーはないのでコンロで炙ると赤く光ってボロボロと落ちた.

ノズル(ニードルが入ってたほう)にもカーボンがこびりついて居るようですが,今調べているとエンジンのキャブクリーナーを吹き付けたら取れるそうです.あした買ってこようかな.

そして今も30分ぐらい運転してたけどやはりE03で切れた.たぶんノズルを綺麗にしたら行けそう.気化器が熱くなるとニードルが動きにくくなって燃料を噴霧できなくなる様子.たぶん.ソースは
http://acs.hp2.jp/322newsarchives12.html

ファンヒーターとの戦いは続く.