minamoToのブログ

旅行と音楽が好きです

最近の出来事

見出しなるものを使ってみた.

試験

合計8コマを履修していたが,結果としてフル単だった.良かった….
通信ネットワークと電気電子数学1は落としたと思っていたので(といって所詮可なので何らかの考慮があったのかもしれない)びっくりした.特殊相対性論は余裕の95点だった.やはり今年度の2回配当が大変難易度が下がっているというのは本当のようである.
結局来年度は電力工学2と電気法規を取るので増加単位6となりますね.しかし可の多い成績表である….

研究室

いぬっし,クリスタリンと被るなど.とりあえず電気系に行きたい.というか選択肢として電気系しかないのではないか.電子系に行くには頭が悪いし,情報系は興味が無いし.あと就職に関してはどこに配属されてもさして差はないようです.研究の忙しさにはかなり差があるようですが.

アメリカ

2月に11日間ほど母親とニューヨークに行ってきた.細かく言うとマンハッタン→アトランティックシティー2日→マンハッタンという感じ.
ITM-NRT, NRT-JFK, JFK-NRT, NRT-ITMというルートを取ったので全行程ANAだった.行きの国内線は運がよいことに国際線機材(B777)だったので,エコノミーで予約したがプレミアムエコノミーの座席を指定できた.わずか40分程度だけフルフラットシートを堪能できた.途中スッチーに笑われた.「貧乏人が燥いでる」などと思っていたのだろう.切ない.
行きのJFK行きがガラガラでせっかく気を使わんでいいように2連シートを取ったのに,4連シートに1人というのが何列かあって,その人達は悠々と4席をベットとして快適そうに寝ていた.悔しかった.

ニューヨークは雪めっちゃ降った.冬のニューヨークは雪がずっとしんしん降り続いているようなものかと思ったけれど,一晩ブワーッとふってからりと晴れていた.ブワーッと降った夜はすごく吹雪いて寒すぎた.防塵防滴仕様のD600(言いたいだけ)が頑張ってくれた.人通りの多い歩道は融雪剤を撒くので,撒いたところは歩きやすいのに,撒いてないところは雪が残って排水口を塞いで段差のあたりに冷たい泥水がたまり氷が張ってるのかとおもって通ると靴が埋まり大変腹立たしい思いを何回もした.

雪が積もると多くの人がおとなもこどももおねーさんもセントラルパークで遊んでいた.

去年回りきれなかった自然史博物館とMoMAをそれぞれ一日設けて回った.MoMAは相変わらずわからないものが多かったが,去年よりは違う姿勢で見れた.なにか表現したいものがあるんやろうな,と云うのが多くの作品で感じたけれど,単なる落書きのようなものはひどいと思った.

芸術を分かったような顔をして回るよりかは,きれいなものはきれい,ひどいものはひどい,と思うのが今持ち合わせてる感性の程度であって,今後あーあれはそういうアレか,と思えばいいのかもしれないですね.と思うようにする.

近現代の芸術は,

ということだそうで,必ずしもすべての作品が本当に「すごい」ものではない,という認識でいいのかしら.
美術館系ではユダヤ博物館,ノイエ・ギャラリーにもいった.密度が低く,正直入館料が高いと思ってしまった.ノイエ・ギャラリーは女性の自慰の絵が多く,母親とは到底一緒に観れたものではなかった.

セントラルパークの動物園にも行った.アシカショーを演っていた.うちの犬より賢かった.

アトランティックシティーでは二人で往復75ドルかけてバスで行った.バスのチケットには50ドル分のスロットクーポンがあり,結局これで70ドルぐらい現金化できたが,もっと欲しいという良くない思いが50ドル消し去った.これで20ドルの儲け.1800円の充電器をホテルに忘れたので,トータル何もなかったことになった.

最終日はJTBの夜景ツアーを申し込み,口が達者な日本人にワゴンで案内してもらった.ニューヨークで働けて車運転できて〜ということならやりたい気もしたが,そうそうあれほど毎日喋りまくるということは無理だなと思った.しかし寒かった.

帰りは満席だった.13時間辛かった.伊丹行きが千歳からの機材で雪で到着が1時間ぐらい遅れていた.

タイヤ

とある日,縁石に乗り上げた時にサイドウォールに亀裂が浮き彫りになっていた.帰って調べると10年も経っていた.通常タイヤの寿命というか交換スパンは5〜6年らしい.よく今まで走ったものである.九州往復したし,中部一周もしたし,中国一周もしたし,名古屋も行った.いつも整備を頼んでいるお店に見積もりを出してもらうと一本28k円〜という,え,この車にそんなタイヤ履かせるんですか,といった状態で,ランフラットタイヤは40k円近くもした.ランフラットかっこいいけど.どうやら調べてみると量販店でも店頭だと(特に都会近くだと)高くなる傾向があるらしい.初め四条のオートバックスで見積もってもらうとヨコハマのDNAエコスで70k,(ちなみに通販なら一本10k切ります)Pilot Sport 3なら90kという見積だった.いやいや高いです.通販で買って家に届いたのを持ち込んで装着してもらうことも考えたが,それは面倒なので,そこそこの値段で行けるところが東大阪でした,という話.

そんなこんなで,東大阪のセレクションパーツというところでミシュランのPilot Sport 3を買った.工賃込みで一本17000円弱だった.製造も12年44週でまあ許容範囲でしょうか.倉庫も大きく,スタッフもたくさんいて4本履き替えるのに30分もかかってなかったような気がする.ホイールもある程度綺麗になって,タイヤも綺麗ですし満足です.溝が深くてウエットグリップがすごいらしい.稀なことに,雨の日が楽しみになった.

長くなった.またね.

親切とは

僕がサークルの人達や,友達に親切にするのは,確かに,人好きである(仲が良い或いは良くなりたいと思う人達に好かれたい,嫌われたくない,と思っている.ただし八方美人ではなく,苦手な人はやはり苦手である.*1)ということもあるだろうが,腐っている根をカバーしようとしているという,ずるいものである.本来ならば,腐った根をどうにかしなければならないが,いろいろ人の世話をして株を上げるほうが,何倍も楽だからである.

しかしながら,それは,あくまで,上記の理由によるものであるから,恩着せがましいことをするのは極力避けている.*2頭が上がらない,といわれるよりかは,僕の頼みごとを快諾してくれるほうが何倍も嬉しい.無理難題を無理やり押し付けることもしないようにしているし,基本的には自分のことは自分でやるようにはしている.

だから,これはこの間の〜のお礼です,などというのは自分としてはすごく気を使わせて申し訳ないというか,嫌というわけではないが不本意な行動なのである.というのも,自分がお礼をする時というのはある種そこで「してあげた,された」関係を一旦打ち切るという意味を持っているので,別にお礼をして欲しくてやっているわけではない.*3ただ単に信頼関係を築きたいというだけで,ただ自分を他人の人間関係に組み込んでもらっている有り難さを,自分の出来る範囲で恩返しをしているようなものである.

だからこの有り難さを屁とも思わないような行動は非常に不快に思う.*4人という字は〜などという使い古された言葉を借りるのはあまりに陳腐であるが,これこそ真理であり,我々が少なくとも幸せに人生を送れている*5のは,我々以外の人が「わたし」を直接的ではないにしろ,それぞれ何らかの関係に結びつけているからこその話である.集団主義ということである.

基本的には,自分のことを第一に考えていればいいのだが,それだけで社会生活を送れるはずはない.わたしはわたしだから,などという意味不明な理屈で意味不明な行動が許されるわけがなく,個人主義の履き違えも甚だしい.

したがって,親切とは,社会生活を円滑に送るための手段に過ぎない.必要に駆られて半ば強制的に恩返しをすることに何の意味もなく,いくら行動が素晴らしくても,無理やりやっている気持ちは自ずと他人に伝わるもので,そんな恩返しならされないほうが800倍ましである.自分の手で人間関係や,社会生活をギスギスしたものにしたいと思っていない限りは.

*1:嫌いな人間は当然いるが,波長が合わず会話が持たない人たちもたくさんいる.

*2:結果的にそうなってしまったこともある.

*3:お礼がとてもありがたく嬉しいことも多々あるのであるが.

*4:受け取り方がさまざまであるので,勘違いをしていることももちろんある.

*5:まず第一に,おいしいごはんが食べられること

NFが終わって.

もうすぐ今年が終わろうとしている.
何があったか.間もなく削除するtwilogを見ながら振り返る.

1月
年末年始にかけて毎度のことながら精神がやられていた,すぐ治るのだが.
大きなターニングポイントである.自動保存地点ではなかった.
最後の学生実験が終わった.
といってる間もなくテストである.その結果,26日に留年が確定した.うすうすわかってたけど.

2月
テストが終わり,22日に青春の弾ける音を聞いた.28日にPVの撮影開始,リズミカルな現場.

3月
4日バイト先の送別会に呼ばれない.*16日主演作品撮影開始.12日引越し.15日PV楽器パート撮影.

4月
トラブルで一瞬履修登録できなくなる.8日国際的な花見.18日教授に不良品認定される.28日確定コンパの後,ももじろうに立てこもる.

5月
2日柄にもなくランニングなどを始めるので胸が痛んだが,そのうち治ったので気のせい.8日ヌートリアが目の前まで上がってくる.13日その刹那の河川敷撮影で地獄絵図.17日タイタニック3Dを観る.21日金環日食

6月
6日金星の日面通過.手湿疹が生じ始める.これは未だに完治はしていない.辛い.30日雨季上映会.

7月
5日,23歳になる.HOTEIにリプライもらい,ふぁぼられる.15日ポンポン山に登る.下旬には皆で勉強会を開き,功を奏して落とした単位は2に抑えられた.特に,電気回路(2回目)・函数論(3回目)が優だったのは感涙.

8月
前半は前ポストのように,四国へ行った.16日と18日YMSK撮影の為,琵琶湖へ行った.ブームを忘れ,暑いし,大変であったことよ.あまり覚えていないが一日置いて二回も行っているようだ.
18日には実家近くで花火大会があり,後輩数人を連れ帰った.こともあろうに,台風が通過する日でデマッターが爆発.しょうもない人間が居るものよ…まったく情弱の考えることはなるほどわからん.

9月
1日に身内で飲み会をして友人に暴言を吐いているが,どこで誰と飲んだのか全く覚えていない….困ったものだ.
いや,思い出した.身内で焼肉に行ったのだった.5日電電バスケ.バスケは本当に嫌いだ.7日にアメリカへ旅立った.少し旅行について.

去年アメリカへ行った際には,往路のITM-NRT便以外はすべてユナイテッド航空で行った(行かされた?)のだが,今回往路のNRT-IAD(ワシントン・ダレス)便はANA運行でビール無料で機内食も美味しかった.*2食前にビールをもらい,食後にワインをもらいさっさと寝ようという魂胆だった.去年というか,飛行機で長距離移動をすると乾燥のせいで鼻から風邪を引くことがままあり,なんやかんやと保湿対策をしていった.保湿用のマスクや,鼻にツッコんでジェルを塗りつけるやつとか.それが幸いし,体調は崩すことはなかったし,概ね寝られた.

ワシントンに着いてすぐ,小さなプロペラ機でロチェスターというニューヨークの町に飛んだ.母親がバリー・マニロウのコンサートに行きたがったためである.アメリカのコンサートは日本とは違い,興行中の撮影が禁止されていない.タダで宣伝になるからという理由だそうだ.ついでに,海外のアーティストが日本でコンサートをする時もとくに禁止にはしていないらしい.

次の日,ロチェスターから車で1時間半ほど飛ばせば,ナイアガラの滝まで行けたので,行く事にした.*3英語はペラペラでは無いが,ホテルやレンタカーの手配も,以外になんとかなるものである.年齢のせいで,レンタカーはWebで申し込んだ時よりいくらか高くなる.ナイアガラの滝はまあすごいですよ,それなりに.霧の乙女号というカナダ滝の滝壺まで行く船では,そこは嵐のようだった.歩いて国境を越えられ,日中はひたすら歩いた.帰りは,あまりに歩き疲れて,運転が困難であった.隣で母親は寝ているし,余りにも危ないので勝手にサービスエリア的なところで仮眠をとった.運転は体調万全でせな本当にだめですよ,安全運転義務違反ですよ.

次の日,マンハッタンへ向かおうと,無事ホテルをチェックアウトし,空港へ向かうとなんと天候で予約の便が欠航というトラブルに.空港でウロウロしていると,空港まで送ってくれたホテルのおっさんに再び会って「どうしたの」などと聞かれ,事情を説明すると「残念だね」とだけ言って帰っていった.なんやねん.なんとか遅れているものの当日の便の席を確保してもらい,EWR(ニューアーク)についたものの,ホテルに着いたのはとうに日が暮れていて,本来なら昼過ぎには到着し,荷物をおいて大都会へ繰りだそう,という魂胆であったのに,2人共すっかり疲れてしまって,その日は寝てしまった.

残りはそれはそれは怒涛の3日で,シティーパスなるものを買ってしまい,元を取るべくすべての施設(エンパイアステートビルメトロポリタン美術館,アメリカ自然史博物館,トップオブザロック,MoMA自由の女神へのフェリー)を回ろうとし,実際に回ったので死ぬかと思った.実は来年の2月にも性懲りもなくニューヨークに行くので,特に自然史博物館は一日かけて回りたいと思っている.ちょうど911のセレモニーにも鉢合わせし,該当の地域では夜にキャンドルを持った人たちで溢れかえっていた.

去年良かったので,というのである会社から借りた4Gルーターがある.それはそれはもう期待を裏切るかの如く,繋がらない.特にマンハッタンが繋がらなかった.終始それでイライラしていた.帰国後送り返す感想文に文句を大量に書きつけると,半額にしてくれた.イライラしていた時からかなり時間が経ったあとの対応であったので,内心「いや,そこまでしてくれんでもええのにな」とも思っていた.しかし今ツイートを見返すに,それぐらいが妥当な対応であろう.

帰りのNRT-ITM便は,前の方を座席指定すると,どうやらプレミアムエコノミーの席だったらしく,とても余裕があった.旅行と言ったらビジネスクラスをポンと変えるような大人になってみたいものである.

帰るとD600が発表されていたようだ.

10月
運動会の撮影や,NFの提出作品の準備でバタバタとしていた.後期から雪だるまを休会したが,11月に復帰した.*4
近くのアレルギーが得意な病院で指を見てもらったら,やはり手湿疹で,リンデロンDPというベリーストロングのステロイド剤を処方された.*5これが塗り方次第で驚くほど効いた.すごい時には,ぱっくり割れたあかぎれが,次の日には閉じているのである.しかし,根気よく毎日ケアしないといけなく,先程も言ったように未だに完治はしていない.つらい.

11月
NFだった.その前に,関テレのものまねオーディションに行った.手応えはなく,案の定連絡は来なかった.まあ,運でしょう運.ノイズチェックではなんやかんやと居座古座があったらしい.よく考えて行動しよう.*6突貫工事でユキダルマンを作った.ああいうただおもろいだけ,というのが好きなんですよ僕は!!!作られた作品に意味を求めるんじゃなくて,プロセスに歓びを感じたいのです.だって,プロじゃないし.確かに,そればっかりではだめですがね.

12月
引き継ぎ会・引継ぎコンパがあった.寄せ書きアルバムはやはり良いね.同回飲みも良かった.
同回と言っても,僕だけ4回生で,*7あとは皆3回生である.今でこそサークル内ではべらべらしゃべっているが,もともと人見知りであり,あまり馴染めていなかった当初,*8ストールに「タメ口でいい?それともやっぱり敬語ですかね」と訊かれた時が分かれ目だったのだろう.丁度いい立ち位置だと思う時もあるし,*9タメ口同士で話せる人がサークルに居ないのは少し寂しいとも思う.

言葉遣いには,敬意が現れるが,それは初期段階だけだと思う.だからいつも思うのは,立場が下の人達からは,会った時に敬語でしゃべってくれれば,あとは結構どうでもいいのである.逆に,立場が曖昧なまま,フレンドリーに来られると心の準備が間に合わず,暫くの間というか半永久的に,その人とは馴染めなくなる.

さて,Twitterのアカウントを消した今,このポストを見てくれる人がどれぐらいいるのだろうか,きっと居ないんだろうな.

*1:泣いてないよ.

*2:べつにユナイテッド航空がまずかったわけではない.

*3:というかそうなるようにバリー・マニロウのコンサート会場を決めた.

*4:なにがしたかったとか言うな.

*5:実家によく置いてあるリンデロンVGはストロングであるが,ベリーストロングは処方箋がないと買えないし,チューブに「劇」と書いてある.

*6:お前が言うな

*7:卒業年度は一緒

*8:新人映画上映会の時である

*9:それが大半を占める

夏ですね

前回の記事は凡そ半年前ですね。
続けるというのは難しいものです。

続けているものといえば、幼稚園からヤマハにピアノを習いに行き続けているというぐらいですかね。
小6と高3の時にそれぞれ受験で一年休んだ以外は基本的に週1でずっと行っています。今も行ってんの?とよく驚かれますが、自分としては好きな曲を自由に弾かせてくれているので負担ではなく辞める理由がないのです。ちょっと遠いけど。
たまに自作の曲のアドバイス的なものももらえるのでなかなかお得です。

僕がピアノを通して言えることといえば、だれでも練習すればある程度は形になるよということです。それは多分「意識が向かったものであれば」なんでも当てはまると思います。(多少のセンスは完成度や所要時間に影響するだろうし、出来上がったものに対して自分や周りがどう評価するかはまた別の話)

本質的に無意味な行動以外であれば、直近の目標を達成できるかどうかは別として、何かやった分だけ自分の力になるはずです。

しかしながら、精神的なことについては、いまのところ、心の基盤をどうにかしなければ、いくらやっても0のままであるようなものが存在するとしておきたいのです。

おしまい。

四国旅行〜玉ねぎ、うどんとジョンと愛媛 その1

さて、9月には大きな旅行を予定してあまりお金を使いたくないということで、スギヲ氏の墓参りを手伝うこととなった。スギヲ氏とは小6のときに希学園で知り合い、中高同じ学校に通った、2つ前の記事の東京旅行を共にした友人である。

10日に京都から大阪の実家に帰ってきたのであるが、当日25時半に出発し真夜中だしスイスイ帰れるだろうと高をくくったが最後、帰省ラッシュによる、大山崎ジャンクションから神戸までの40キロの果てしない渋滞に巻き込まれ、通常1時間で帰れるはずが3時間もかかってしまった。ちょうどその頃、裏の裏氏のポストには河童からキュウリが投げ込まれるし、呪われた日であったに違いない。しかしながら、真夜中のドライブスルーでお買い上げしたマイルドゴールドマサラは美味しかった。

12日とは日曜日で、どう考えても引き続く帰省ラッシュに巻き込まれることが承知されていながら、荷物を運ぶのが楽だというのと何より運転が嫌いでないという理由でとりあえず淡路島に向かった。

ところで、今回の旅行は、まず淡路島で玉ねぎ料理を頂き、香川県でうどんを食し、松山あたりでスギヲ氏とジョンと合流し、一泊しながら次の日には西予市はスギヲ氏の親戚のお宅にお邪魔しつつ道後温泉に浸かった上でしまなみ海道を通り、大阪に帰る、というように要約される。全行程約800キロぐらいだったかな?

ジョンという新たなキャラクターの登場により、読者の皆様はドギマギしていることであろう。中高の同級生であり、名前の由来は金正日総書記であることは火を見るよりも明らかであるし、ただそれだけである。参考までに、ジョンは酒癖が悪く、泥酔すると記憶を失った上で、周囲に暴行する、医学部生である。大学名はさすがに明言することは避けるが、徳島大学でそれなりに頑張っているそうだ。

12日の朝9時に池田を出発し、宝塚ICから乗ろうと思ったが最後、これまた高速に乗るまでに3時間弱かかってしまい、心が折れそうになった。淡路島には12時半ごろ到着し、津名一宮で降りて玉ねぎ料理、「いづも庵」というお店の「玉ねぎつけ麺」を頂いた。大根おろしは偉大である。このあと香川県でうどんを食べる予定なのにつけ麺を食べてしまったが、別に同じ食品を連続して食べてはいけない決まりはないし、美味しかったらなんでもいいのです。

続いて、雪だるまの後輩で香川出身である黒髭氏(の保護者?)指導のもと、二軒のうどん屋さんを紹介してもらい、三豊市にある「手打ちうどん渡辺」に行く事に決めた。16時頃に到着したのであるが、美味しいが混んでいるというので待つ覚悟を決めていたが、駐車場に止めるとガラガラだし、営業中の札があるのにドアが開かない、これはもしや営業終了かと思ったが引き戸の開かない方の戸であった。無事に入店し、釜あげうどんを頼んだが、湯だめうどんになると言われたが、湯だめうどんというのも初耳だし食べることにした。しかし二時間前につけ麺を食べたので一番小さいサイズにした。300円、これは安い。あとで調べたところ、釜あげうどんは茹でたまま丼に移し、湯だめうどんは茹でた後水で締めて再び温める。湯だめうどんのほうがコシがあるらしく、ご飯でも麺でも硬い方が好きなので、結果的に都合が良かった。店員さんの声が可愛かった。

このあとスギヲ氏とジョンと合流したのであるが、もう眠いので後半へ続く。