minamoToのブログ

旅行と音楽が好きです

現状維持は衰退

どうもこんにちは。
昨日東京に行った話とそこで考えたことでも書こうと思います。Twitterをみつつ思い出しながら書きます。

金曜日は寝不足のまま某企業の見学を終わらせ、6時前に京都を出て実家へと戻った。車で走ってていつも思うのは、とりあえず追い越し車線で並走するのと、意味なくフォグランプを焚くのをやめて欲しい、眩しい。

ヤマハへ行って、餞別と言う名のおみやげ代をもらい、めしくって風呂入って梅田へ向かった。深夜バスは23時発で、友人とは22時頃会ってすこし酒でもという予定だったが、バーを名乗って21時半にLOなどという店に入ってしまい飲む気が失せた。

その日の夜は風が強く寒く終始文句ばかり申し上げ、とにかく寒かった。座席は狭くリクライニングはさほど倒れないし、発進時には不快な揺れが起こる。運転技術のせい?いびきもうるさかった。しかし安さを考えたら何も言えない。でも劣悪寝心地王者決定戦あったら優勝してるでこれ。

7時頃新宿駅について、朝マックを頂き、「ここは飯食うとこやから化粧はやめてください」「は〜い」などという会話を聞きながら友人は予定を立てた。

桜田門まで行き、極寒の向かい風と格闘しながら皇居を半周しゴールデンボンバーのライブが開催される武道館を横目に見つつ靖国神社についた。フリマが開催されていた。鳥居がでかかった。

遊就館で3時間ほど見学した。人間があほらしくなった。見学コースの最後にだれでも自由に書けるノートがあったのだが、そこに書かれてあった「英霊」という単語に非常に違和感を覚えた。お国のために戦い、負けた結果今の日本があるのだが、背景がどうであれ殺し合いをした人たちを「英霊」と呼ぶのは戦争美化ではないか。戦没者と呼ぶべきである。同じようなことを書いている人がいて少し安心した。この先は普遍的なことしか書けないので、書かない。しかし次のツイートにあまり反応がなかったのには少し寂しかった。

喧嘩で手を出すとかそういうことが戦争の根元にあるんやろかと思う 核持って牽制するのもすごく子供っぽい こらいつまで経っても人間変わらんわ きれいごと。
12年1月14日 - 12:19 Echofonから

そのあと靖国近くにある「テキサス」というステーキ屋さんで昼を食べた。価格も非常に手頃ですぐ出てきた。おいしかった。

両国国技館へ向かい人生初相撲鑑賞をした。もともと興味はなく、せっかく誘われたのだからと社会勉強だと思い見てみたが、やはりあまりそそられなかった。雰囲気は良かったけれども。やはりスポーツに興味を持つことはしばらくなさそうである。もともと眠かったのと、不動産屋からの理解しがたい連絡でこの時テンションが下がってしまっていた。

友人は親戚宅へ向かうということで帰りのバスの時間まで別行動することにした。東大の友人の所属するサークルのライブに行くことにした。

ほとんど世の中の曲をしらないので判断できないが、コピーが多かったように思う。どのバンドもだいたい完成されていて上手だった。とくにブラスはとてもかっこ良かった。もう一度トランペットを人と吹きたいと思った。自分の作る曲はロックだのポップだのジャンルを名乗ることすらはばかられるが、そういう曲はなんというか曲を聞いて意識的にリズムをとってノるような気がする。ジャズなどは、耳から入って直接体が動くような感じがするのが心地よかった。うまく言葉に出来ないけれども。

そこでも引き続き眠かったが、友人が紹介してくれた人たちとはほとんど話せなかった。これは眠気だけを理由にしたくない。というのも、高校のときのある出来事で人付き合いが少し苦手になってしまったからである。(それ以前は一度八方美人とよばれたこともあったが。)それ以来、もちろん例外はあるが、初対面の人と打ち解ける(自分から進んで話をすることができる)のに非常に時間がかかるようになってしまった。

知り合い・友人に対しては、めちゃくちゃ喋る人と、ほとんど何も喋らない人がいる。前者は当然その人のことが好きだから喋っているが、だからといって後者が嫌いだからではない。(嫌いな場合もあるけれど、単に波長が合わず苦手なことが多い。)でもその差が激しすぎて嫌われてると思われているのかもしれないことは残念である。ひとごとのように書いているが、だいたい自分のせい。とりあえず、バイトでは当たり障りない会話をできるように練習中である。

この非社交性はこの先かなりハンデになると思われるが、解決策がまだ見つかっていない。これが自分の恋愛を含む人間関係に関する考え方に影響を与えていると思うと、再び残念である。人付き合いだけではない。中学受験以来、努力を怠り、自分と取り巻く環境が「自然に出来る範囲だけ」でいろいろやってきた。確実に衰退している。どうにかしないといけない。社会に出たらそんなことを考える時間も無くなりそう。

とサークルの人たちが(実際はどうであるかは別として)「みんな」なかよくしゃべっているのを見て、泣きそうになりながらそんなことを考えているとやがて時間が来たので東京駅へと向かった。寒さは和らいでいた。

帰りのバスは幾分広く、行きに比べれば快適であった。発進時の振動は同じであった。明朝京都につくとやはり震えるほど寒かった。テスト期間が近づいている。僕は再び震えた。

結局東京というところも、大阪とも京都ともほとんど変わらない。それは五感で感じるものがそうであるからだと思う。そこにしかないものはあれど、国内であればしたいことは大抵どこでも出来るものである。そういう考えをしている以上、どこにいっても発見なんて起きない。そうやって人付き合いも見識も心も狭くなっていって、つまらない人生になってしまうのかな。

しかし海外は言語を含む文化が違うので、そうもいかない。やはりもう一度以上ニューヨークに行きたい。というただ単にアメリカいきたい締め。